日本遺産 鞆の浦
江戸時代末期(1867年)、坂本龍馬(さかもとりょうま)が「いろは丸」という船で海運業務を行っていた際、瀬戸内海で紀州藩の軍艦に衝突されてしまいました。この事故でいろは丸は積み荷とともに沈没。事故現場から一番近くて大きい港が鞆の浦だったことから、事故の当事者たちは鞆の浦に上陸し、事故の損害賠償交渉を行ったのでした。龍馬が鞆にいたのはたったの4日間だけでしたが、鞆の沖には今もいろは丸が沈んでいて、それを2006年に発掘調査したのが鞆の住民団体「鞆を愛する会」だったことから、この町に「いろは丸展示館」があるというわけです。